《行動ファイナンス》

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【こうどうふぁいなんす(behavioral finance)】


 行動ファイナンスは,標準ファイナンスが合理的人間のとるべき行動を明らかにする 規範理論であるのに対し,実際に人々が金融経済活動における意思決定に際してどのよ うに行動するかを解明する実証理論である。特に心理的な要因がファイナンスにおける 意思決定や企業,金融市場に与える影響に注目するので,心理学(特に認知心理学)と 関係が深い。また,行動ファイナンスは標準ファイナンスを否定し置き換わろうとするも のではない.なぜなら現実の証券価格が理論価格と乖離しているかどうかを知るために は規範理論を必要とするからである。しかし,標準ファイナンスの問題点は規範理論を 現実に無批判に適用してしまうことにある。生身の人間はBayesの定理の複雑な確率計 算を瞬時に終えることはできないし,過去の投資成果は次の選択に無視できない影響を 及ぼす.そこで,投資の実践という観点からは誤りに気づきそれを正すことが,そしてア カデミックな観点では心理学と経済学に強固な基盤を有し,現実の世界の複雑なパター ンを説明できる一貫したモデルを開発することが目標になる。これを研究するのが行動 ファイナンスである.


■ 非効率的な市場

 実証理論としての行動ファイナンスには,「非効率的な市場」と「投資家心理」という 2つの基盤がある.非効率的な市場が意味するのは,証券価格は必ずしも常にファンダ メンタル価値に一致しているとはいえないということである。効率市場が非合理的投資 家の存在にもかかわらず成立するためには,代替的な証券が存在し裁定取引が十分に行 われることが必要である.これによつて価格はファンダメンタル価値に収微し,結局, 損をした非合理的投資家は市場から撤退するからである(Friedmanの競争的淘汰説).  しかし,現実の市場では完全な代替的証券の存在はまれであり,また,基本的にはエー ジェントである合理的投資家は依頼人に対し短期間で成果を示す必要に迫られているた め,その想定投資期間は比較的短い。そこで彼らは,非合理的投資家の取引によって市 場のミスプライスが拡大していく中では,裁定取引が効果を発揮するまで待つことがで きず裁定取引を抑制するようになる(ノイズトレーダー仮説).このように行動ファイナ ンスでは,裁定取引が制限されるので市場のミスプライスは速やかには修正されず,市 場の効率性は完全ではないと考えるのである。詳細はShleifer(2000)を参照.


■投資家心理

 行動ファイナンスのもう一つの基盤が投資家心理である。人間心理に潜むバイアス(偏 向)が現実認識を歪め,評価と意思決定を合理性から逸脱させるのである。また,多くの 認知心理学の実験が明らかにしたように,これらのバイアスはランダムで互いに打ち消 しあうというものではなく,同時に同一方向へと向かうシステマテイックなものという 特徴がある。詳細は角田(2001)を参照.

▼ ヒューリスティックとフレームによる簡略化

 人が認識上の負荷を減らすために採用するのがヒューリスティック(簡便法)とフレー ムである。ヒューリステイックには,ランダムな事象に規則性を見いだしてしまう代表 性,以前の情報に拘泥するあまり新しい情報を信念に十分反映させないアンカリング, 目立つものを答えに転用する利用可能性などがある。また,視野を矮小化することで問 題を単純化するのがフレームであり,同じ問題であってもフレームが異なると選択も変 わってしまう。心の会計,あぶく銭効果,損失先送り効果などが含まれる。

▼ 自信過剰

 行動ファイナンスで最も頻繁に扱われるバイアスは人々が実際以上に自分を優秀だと 思い込む自信過剰であり,さまざまな市場アノマリーの原因となる過剰反応を引き起こす. 自信過剰には過大な楽観性を含む狭義の自信過剰と,自己欺臓傾向が結びついた自 己正当化がある。自己正当化には自己責任バイアス,後知恵,追認バイアスなどが含まれ, また,これらを説明するのが認知的不協和の理論である。

▼ プロスペクト理論

 von NeumannとMorgensternの期待効用原理に従わない理論の中で,ファイナンス応用 上最も有望と考えられているのがKahnemanとTverskyが提唱したプロスペクト理論で ある。プロスペクト理論にはフレーム形成,確率評価の非線形性(ウェイト関数),反転 効果,損失回避(価値関数),曖昧性回避が含まれる.確率評価の非線形性とは,非常に 低い確率は過大評価され(宝くじ購入),中・高位の確率は過小評価される(保険加入)と いうものである。反転効果とは,賭けで儲かりそうなときはリスク回避的であっても損 失が確定的な状況では一発逆転を狙う賭けを選択しがちであることをいう。そして,人 は富全体ではなく参照基準点と比べた損得を判断基準とし,同額の儲けと損を比較する と2倍以上損失を嫌うというのが損失回避である。現状維持バイアス,所有効果,つぎ 込んだ費用の過大視などは損失回避で説明できる。曖昧性回避とは不確実性には計量化 できるリスクとできないもの(不安,無知)がありそのどちらもが選択に影響するという 洞察である.

▼ 情報のカスケード  人々は他人の判断と行動に順応する傾向があるというのが,情報のカスケード(群集行 動)である。価格が上昇すると証券を購入し,下落すると売却するポジティブフィード バックトレーダーの存在は,価格バブルを引き起こす原因になる。さらに投機的な裁定 取引者がこれを利用して市場を持ち上げるのでバブルはより大きくなる。本来は市場を 安定させることが期待されている裁定取引者が市場に加わることでボラテイリテイは逆 に増加し,価格もファンダメンタル価値に収飲するよりはむしろ離れていくことになる。


▼ 後悔回避と自己規律  人々の選択は期待効用を最大化するのではなく,将来の後悔を最小化する原理に基づ いて行われるというのが後悔回避である.後悔を小さくするには決定の責任を代理人に 転嫁したり,ルールに従った決定をしたりすることが有効となる。自己規律とは現在の 消費による満足をとるか将来に備えた貯蓄をするかといった葛藤をコントロールするた めに,人々が採用する必ずしも合理的とはいえないルールを意味する。


▼ アノマリーの解釈

 市場で観測された効率性に反するアノマリーにはクローズ型投信のパズル,株式プレ ミアムのパズル,IPO(新規公開株式)パズル,M&Aの芳しくないパフォーマンス,市場 全体の過剰な取引量と変動性などがあるが,ここでは代表としてリターンの予測可能性 を採り上げる。これは逆張り戦略,バリュー株投資,モメンタム戦略による超過リター ンの存在と,自社株買いや株式分割などのイベントでリターンが予測できることを意味 している.  バリュー株投資のリターンはFamaとFrenchの3ファクターモデルではその企業のも つリスク(弱み)|こ対するプレミアムと解釈されるが,行動ファイナンスではグラマー株 (勝者株)に対する過度の期待とバリュー株(敗者株)に対する行き過ぎた悲観という過剰 反応がもたらすものと考える.モメンタム効果とは,たとえば過去6カ月間のリターン が他より高かった株がその後の1年以内の期間でも超過リターンを獲得するといった現 象をいう。この事実をリスクプレミアムで説明するのは難しいが,行動ファイナンスは この効果をアンカリングによる情報への過少反応で説明する(私的情報に対する過剰反 応という別の解釈も存在する)。


■ 行動ファイナンスの可能性

 米国のファイナンス学界では時間的一貫性とか,期待効用の合理的原理などに反する 効用関数が人気を集めているという.これは理論的一貫性を追求するファイナンスから より複雑な現実を説明できるファイナンスヘの転換が始まっている兆候と考えられる. しかし,行動ファイナンスに対する批判も当然あり,その代表的なものは,いかなるア ノマリーでも適当な(ときには矛盾する)心理的バイアスで説明してしまい統一感がない というものと,特定の事象の説明に止まり,よリー般的な議論までには至らないという2 つである。行動ファイナンス側もこれらの批判に答えていく努力が必要になるであろう.  投資実践の世界に目を転じれば,行動ファイナンスを利用して市場平均を上回るリター ンが継続的に得られるかどうかに関しては2つの立場がある.他人の誤りは自己利益獲 得の好機会だとして積極的に利用しようとする立場と,わかっていても陥りやすい心理 的バイアスが邪魔をするので儲けるのは難しいとする立場である.たとえどちらの立場 をとるにしても,個人投資家教育において,また,バリュー株や逆張り投資の理論的裏 付けとして,そして情報のカスケードを想定した市場コントロールの根拠として,行動 ファイナンスは大きな力になることが期待されている.


参考文献

[1] 角田康夫(2001), 行動ファイナンスー金融市場と投資家心理のパズル, 金融財政事情研究会.

[2] Shleifer,A. (2000), Inefficient Markets: An Introduction to Behavioral Finance, Oxford University Press, (兼広崇明訳(2001),金融バブルの経済学, 東洋経済新報社)